総括として。人形遣いとは押井守自身。

こうして考えてくると、監督自身は人形遣いになりたいのではないか、と思った。
広大な情報の洪水の中でそれに同化し泳ぎ回る。登場人物(人形)、表現すべきその情報を思いのままに操りたい。
そうなんじゃないか、と考えてたら赤信号の交差点に危うく突っ込みそうになった。
監督、操ってもいいけど命までは取らないで下さい。