押井作品の持つ「リアル」

気がついたら押井作品が好きだった。好きな作品が監督の作品だと後から判ったことも少なくない。
なんでこの人の作品に惹かれるのか。
考えてきたけど、感覚に合うから、とかそんな程度の考えしかもたなかったし、面白いからそれだけでいいや、とほったらかしでもあった。
でもこの作品で一つはっきり判った。
この人の作品に惹かれるのは「リアル」だからだ、と。
銃器や兵器のマニアでその描写がリアル?
そんなんじゃない。
硬質な描写の中にふと描かれる生活感や生の感情。そんなものがたまらなくリアルなのだ。
「備考欄に長々と感想書くタイプだぜ。」というバトーの呟き。
バトーの犬との日常。そして決まったものしか食わない犬の贅沢さ。
子供に対し大人気なく怒るバトー。
そんな劇中にふと漏れ出るような描写がたまらなく血が通って見えるのだ。
これまでも奇妙な生活感や食べ物に対するこだわり、そういうものが監督の作家性として作中に表れてきた。
「人が人として在る境界」を求めてきた結果として、人が人であるその証拠のようなもの、血の通った生活感=生きている感覚が印象的に描かれるのは必然だったのかもしれない。
生きているという感覚を追い求めているボクには、その描写がとても心地良かった。
この人の作品が好きになるのも必然なのかもしれない。