仮想現実、あるいは、イノセンス・ライド

もしも、この自分自身の意思さえも、どこかの野良犬の昼寝の夢だったら?
そんな自分の立っているものの危うさを監督がテーマにしてきたことは先に述べたが、情報化社会の発達により、そんな作り出された現実を脳味噌の中にブチ込むことは可能になってきている。(それをモチーフにした(というかパクッたというか)「マトリックス」は大ヒットを記録したわけだが)
監督は今回、その仮想現実体験を観客自らに体験させてくれた。
キムとの息詰まる電脳戦の中、観客はトグサの脳を借りて脳味噌をハックされる体験を味わう。いつ終わるともないデジャヴ(監督の得意技ですが)、その中に挟まれるメッセージの数々。
監督がスカイウォーカーサウンドを採用したのもその点にあると思う。音で観客を包み込むことにより、より画面の中への一体感を狙ったのだと思う。
監督は銀幕の中で展開されていくパラレルワールドと観客の意識を一体化しようとしたのではないだろうか?
それが実現されるということは、観客の持つ自我というものを破壊することができ、そして、監督の言い続けてきたテーマを体感することに他ならない。
背景に3Dが多用されたこともそこに狙いがあるのではないだろうか。
ボクは知人に「背景が3Dだけど、まだやっぱり人物と比べて浮いて見える」と言われて、何故だろう?と考えたが、そこに落ち着いた。目的がそうであるとすれば、3Dになるのは必然だったと思う。人物にはどうしても「演技」をさせ、画面の中で「生き」させざるをえない。結果、2Dを使わなければなかったのはわかるが、将来3Dで満足いく表現ができればきっと3Dキャラが動くんだろうと思う。予告でやってた「アップルシード」を見てもまだそれは先なんだろうなぁ。
それでも背景の3Dが稚拙だと言う意見に関しては、監督の現時点での「途中報告」であって「ここまでできるようになりましたよ」ということなのだとボクは勝手に受け取った。
前作を見たとき、キャラたちのあまりの表情の無さに「監督はアニメという表現を信用してないのではないか、アニメキャラに演技させるということをあきらめたのではないか?」と不安になった。だが、この項で書いたことを思うに、まだ監督はアニメという表現をあきらめていないことが感じ取れて嬉しくなったことも附記しておこう。