『イノセンス』雑感

押井守作品には「今在る自分自身の危うさ」が描かれていると思う。
パトレイバー」では我々を支える社会システムそのもの、「ビューティフルドリーマー」「攻殻機動隊」「アヴァロン」では自分という存在そのものへの疑問が投げかけられている。
そんなものを自分自身はっきりと感じたのが冒頭の文章であった。
そして『イノセンス』。
前作「攻殻機動隊」に引き続き、自分という意思の境界というものにも焦点は当てられているが、人形というモチーフが示す通り、より濃くテーマが表れているのは、「人間とその他のものを分かつもの」だと思う。球体関節人形がモチーフとして使われたのは、その存在が「人間ではないが、何かの存在を感じさせるもの」として監督が強く惹かれたからではないだろうか。
とか色々書くと小難しくなってすんげー長くなりそうなんで「『イノセンス』ココがスゲーぜ!」という部分を述べていけば自然と言いたい事になるような気がするからそれを書いていこう。