ある風景。

ある日の新宿駅
垣間無く人々が行き交っていく。それぞれがそれぞれの意思を持ちながら。
その中を、一人の掃除夫が床にへばりついたガムを取っている。
誰も掃除夫には気付きもしません。
見ているのかもしれませんが誰も意識に止めようとはしません。
掃除夫は居ないのも同じです。
掃除夫は居ないのも同じです。
押井守という監督の作品を語るとき、ボクが必ず思い出すのはこの何気なく目にした1シーンである。
人々の雑踏の中、掃除夫のみがくっきりとしたシルエットをもって浮き上がっていたのを覚えている。
そのときボクは思ったんだ。
これが押井守が伝えたいことなんじゃないかと。
これからボクが書くことは純粋に『イノセンス』を観て考えたことであって、予備知識の無いボクであるからして、他人の見解というものが混じってないはず、である。
麻草郁さんの日記(http://d.hatena.ne.jp/screammachine/00000101)でレポ等は観ているが、どだい記憶力の悪いボクは覚えていられるはずもなく実際の観劇時には脳味噌はフラットであったことも附記しておく。
と、以上、言い訳というか、文責がボクにあること、そしてあくまで主観であることを明記しておく。