【ここ】おもしろきこともなきよをおもしろく【1週間其の二】

今日は先日のBAKANS BARでお知り合いになった三里眼くんから急遽、撮影補助を頼まれて歌舞伎町URGAに。
なんだか歌舞伎町厳戒態勢。後から聞いたら慎太郎が演説に来てたらしく「しまった!わかってたらモヒカンにして『俺に言ってるのか!?』と言ってやるんだった!」と後悔。
などとは言ってますが、現実は色々問題が進行してまして、結構アレな精神状態でありました。
しかし「何かやらんば!」と思い、ライブ撮影の経験も積むために参加させて頂きましたが、準備・撮影している間に集中かつアガッてきて悩みなんかどこへやらですよ!
いや、いい経験になりました。三里眼くん、Aural fitさん、ありがとうございました!こうして興奮冷めやらず早朝に日記書いてます(苦笑)


さてさて、長い前置きで申し訳なく前回の続きとなりますが。
本編もまたまた長いです、しかもまだ続くと思う(苦笑)
適当に流してくださいな、所詮自己満足の駄文也。


DT臭の抜けない血気盛んな男子(だった)諸君なら、歴史にハマることはゲームやお父さんの「プレジデント」やら入り口もたくさんあることだし良くあることで。
命賭けた男たちの生き様に自分を重ねてみて、司馬読んだり思想書や戦略書読んだり夜にポン刀振ったり山篭りしたり、って、えっ?後者は俺だけ?
まあ「三国志」「戦国時代」「幕末」あたりがスタンダードで、ご多分に漏れずボクもそうでした。
三国志」なんかは女の子も好きな子も増えてきましたね(昔から『STOP!劉備くん』なんかでファンは多かったですけど、あとは幕末だけど「燃えよ剣」なんかも)。ナンに使うかは知らないけど(笑)

親父が歴史好きなんで色々叩き込まれたんですけど、その一つが「坂本竜馬」。
そのせいで幕末モノをあさるようになったんですが、そうすると、親父や武田鉄也が好きな坂本竜馬よりもどうも気になる男が一人。
それが高杉晋作でした。

奇兵隊作ったことぐらいでしか教科書に載ってなかったりしますが、松下村塾に入門するものの、師匠の吉田松陰に「棒っきれ」扱いされたり「お前には志がねぇ」だの「他のヤツは大物になるだろうけどお前は世の中荒れないと使い道がねぇ」だの言われる酷い扱いよう。そのくせに師匠には人一倍忠義心を抱いている変なヤツ。
しかし、当に世は動乱。
伊藤博文曰く「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや」との評価に劣らず、テロ、クーデター、中国に渡って「こうなってはならぬ」と日本全体の結束を目指し奔走、と大暴れ。
かと思えば、逃亡先の遊郭で「三千世界の鳥を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」の有名な都都逸を残したり(桂小五郎説あり)、歌を何百首を残してみたりの粋人っぷり。
生まれるときを誤らなかったのが幸いとの好き放題。ちょっと間違ってたらただのボンクラ息子だったはずが。
暴れるだけ暴れ、肺結核で自分の存在価値がなくなるであろう新しい世を見ることなく世を去り、辞世の句には、
「おもしろきこともなきよをおもしろく」
という傑作を残し、当にその句どおりに世の中を「おもしろく」駆け抜けた。
シビレましたよ、この生き方は。
こういう生き方をしたいと思い、そして、こんな生き方をしている人間が好きになった。

世の中を「おもしろく」しようとする人は、どうしようもない衝動に突き動かされて動きまくる。
ゲッツ板谷の言葉を借りれば「バカの瞬発力」に似たものがあるワケです。

前回の日記で、その死を悼んだ鴨ちゃんはそんな人だったと思うワケで。
西原理恵子通じて知り、会ったことも無いけど大好きで大好きで、大笑いさせてもらって幸せになったワケで。
でもガガガSPの歌詞じゃないけど思い出を捨てられない人だから、孤独に苦しんだワケで。
だから幸せになってもらいたかったワケで。


時間は帰省最後の日に返る。
夢を見た。
ボクは籠に入れられてどこかに行く何かに乗せられている。
親父は笑っている。みんな笑っている。
「あぁ、ボクは捨てられたんだなぁ」
ととても悲しくなりうなされながら安眠とはいえない浅い眠りを眠り続けた。
起きると、妹の旦那に親父が嬉しそうに色々と語っている。
妹の旦那は寡黙な男、じっくりと聞き続けている。
話している親父はとても嬉しそうだった。
なんか夢と重なった。
なにか悲しかったけど、嬉しそうな親父の声を聞いて嬉しくなった。
別にボクの業を丸投げしたワケではないけど、妹がいい旦那をもらって良かったなぁ、こういうことをしたかったんだなぁ、天邪鬼の不肖の息子でごめんよ、と心が軽くなった。
前回の帰省で、親父と飲み歩いて、親父はご機嫌だったけど、やっぱりどこかやるせない気持ちをボクに持っている。
間に妹の旦那が入ってくれたことで、お互い心も軽くなるだろう。
色々あったけど、あるものはあるものでしょうがない、これから少しずつ功を奏すかわからないけど歩み寄ってみようかなぁ、と思った。
酔っ払い話し疲れて眠る親父を横に妹夫婦がバス乗り場まで送ってくれた。
妹の旦那曰く「実は何言ってるのか話したいのか全然わからなかった」。
やっぱりな、と笑ってしまった。まあそれもそれだろう。やっぱり親父は親父だった。


一夜明け、無事帰宅。
帰宅するとネットが繋がっていた。
鴨ちゃん関係の本を本棚からあさり読み、ネットで鴨ちゃん最後の連載を読んだ。
西原といる鴨ちゃんは好い顔をしている。惚れ惚れするほど良い男だ。カッコ良い。
最後の連載。
元々朴訥だった文章が、覚悟なのかなんなのか、澄み切ってしまっていてこれまた惚れ惚れするほど良い文章になっている。

間に描かれる西原との会話。そしてたぶん彼しか撮れないであろう見たこともないほど美しい西原の写真。

鴨ちゃん、幸せになれたんだなぁ。

ボクはちょっと安心した。でもやっぱり涙が出たよ。
元から高杉晋作の如く、長くはない人生だろうとは思ったけど、もう少し再び掴んだ幸せを味あわせてやりたかったよ。

でも、今週号のAERAの最後を看取った西原の行動そして最後の言葉。
そんな他人の戯言などどうでもいいぐらい、大きく、愛(なんて言葉は使いたくないけどそれしか見つからない)に満ちていた。西原、やっぱ凄い女だ。

国道二号線の 風景はあの頃と同じで
僕は久々にここに来たら なんかホッとしてしまった
君よ幸せに 二号線の道のりのように長い人生を

この夫婦が好きで良かった。この2人が夫婦で良かった。ホッとする風景がそこにはあった。
そして鴨ちゃんは幸せに、二号線のようには長くはないし曲がりくねってるけど人生を生き切ったよ。
ありがとう。鴨ちゃん。会えてよかった。ハシダさん(2004年イラクで死去したジャーナリスト橋田信介氏。鴨ちゃんの師匠)に天国でまたシバかれてください。
あなたが苦しんでまで思い出を持ち続けたように、ボクも思い出を背負い続けます。いつか笑って話せるように。あなたもその一つです。


感傷は終わりだ。
ここからはボクの二号線のように長い(かもしれない)人生だ。
おもしろきこともなきよをおもしろく
ただ人生を生きることなく、「あ〜つまんね〜」と言ってるヒマがあったら、「おもしろい」世の中にするんだよ。そしてできれば、それを見て他の人にも「おもしろい」と思って欲しいし、幾ばくかの幸せを感じて欲しい。動くんだ。バカの瞬発力だ。
だからボクはもっとおもしろいことをできるように、安定しかけようとしていた沖縄をとりあえず離れた。
離れるとき、沖縄での相方の一人、ヘントナー大佐はこう書いてくれた。

まあ、あれっすね。各々、何処にいても、自分の感性に忠実に面白いことをやってましょう。そうやって面白電波を発信することで、それを受信した人がさらに行動を起こしたりして。それが広がっていけば、世の中きっと居心地が良くなるはずです。

正直、言いたいことを忠実に言葉にしてくれました。さすがはボクの彼氏だ(笑)

さあ、動こう。
そう思っていると、mixiにある非常に尊敬する方から「勉強でいいから撮ってみてくれませんか?」とのメッセージが。
「こんな海のものとも山のものとも知れないボクに?」とのありがたさと同時に、恐れ多さも飽和状態。
でも、やるんだよ。
返信した。
「できるだけやらせてもらいます」

動きだしたら集中できる。数少ない自分の利点だと思っている。
さっそく撮影プランとヴィジョンの形成に入った。

と、そこに電話が。
入学予定で手続きも済ませていた学校からだ。
「あの〜申し訳ありません。申請されていた教育ローンの審査が通りませんでした。」

二号線はいきなり通行止めだった。



でもやっぱり最後に鴨ちゃんの笑顔を。

正月のNHK@ヒューマンより。鴨ちゃん好い笑顔だなぁ。