もういっちょお願いします!


前年末の「Dynamite!」についてもう一言。

たしかにお茶の間のも届く豪華な面子だったかもしれん。
だからなんだっての?
出てくる食材は豪華さ。
でもそれを縦に並べただけ。
「名前」だけの時間の浪費。リスクも意地も意義もないただの選手のコレクション。
(ただ今回に関しては須藤元気は除く)

それぞれの試合というものに必然性も物語も全く無いんだよ。
選手として、プロとして、闘うなら、何故に闘うかをそこに打ち出さないと人なんて感動しないんだよ!
あ、好きな選手が動いていればいいという人は別にしてね。
でもそんなのは格闘技が見たいんじゃなくてプロモが見たいのと一緒でしょ?

昇り調子の所に今さらホイラーを当ててなんの意味がある?それまでのアングルはあったかもしれないけども、現在において闘う必要は何もない。勝っても負けてもお互い全くの意味などありませんよ。所はこれからの逸材、新しい相手と当ててステップアップを図るべきだと思うのだが。

そして問題のメインの桜庭VS秋山。
これも何故闘わせるかは全く意味不明。
日本人トップ?いやいや、闘わせられる日本人同士がこれしかいないからでしょう?
有名どころは呼べなくても桜庭のこれからの戦績からすると、「秋山>桜庭>>それまで倒してきた強豪」となり秋山の価値が上がる。でももうピークを過ぎてはいることが誰も言いはしないが見えている桜庭。失礼ながら秋山の商品価値をローリスクで上げる添え物と言わずしてなんと言うだろうか。そこまでわかって闘わせることで秋山の価値など本当に上がるのか?
桜庭は上記の通り。もはや選手生命は風前の灯し火だ。「伝説の」とまで形容詞をつけるぐらいならこれまでの功績に応えてちゃんとした試合をさせてやろうじゃないか。

秋山がこれからのネームバリューと進化を求むなら本当に強いヤツ、イキのいいヤツを与えてやろう。負けてもいい。そこから這い上がり経験を積んで真の強豪になればいい。それだけの力もあると思う。
ここで他人の実績を借りて自分の価値を上げることに奔走するのは果たして「格闘家」と呼べる人間の所業だろうか?

桜庭…ずっと応援してきた者には悲しいが、選手としての終焉が近づいてきているのは事実だ。
彼には闘うべき相手はもはや二人しかいない。
田村潔司
ヒクソン・グレイシー
この二人とのこれまでのストーリーを考えれば、必然性については言うことは無いだろう。
ましてやヒクソンを引きずり出す可能性もまた風前の灯である。
もう一度、桜庭を「伝説」とするのならこの二人と闘わせて、そのキャリアを最後に輝かせてやるのが筋だろう。
FEGの経済力を以ってすればそれができる。もしやらないなら、それは彼を客寄せパンダとしてしか見ていない証拠でもある。
桜庭にできること、それは身体(特にヒザ)の回復を優先し、来るべきこの二人との最後の闘いに備えることだ。
その闘いはこの進化を続ける総合格闘技界のひとつの歴史のピリオド、ひいては新時代への輝かしいスタートとなることだろう。

余談だが、男祭りで見た田村の相変わらずのコンディショニングの良さには目を見張った。
早くから団体を離れ、道場を持ち、フリーとして自分のペースでの闘いを続け、ベテランにしてピークを維持する田村。片や、団体に殉じ、周りのために激しい闘いに明け暮れ、名声を得たものの消費されたあまり、道場のような生活基盤を持つ機会を逸し、ピークから落ちながらも名声がゆえに苦しい闘いを強いられる桜庭。
どちらが良いとか悪いとかはいえないが、同じところから巣立ったこの二人のこの流れには複雑な思いを抱かざるを得ない。

行う意義のなかった桜庭・秋山戦は、内容も含めかくのごとくでも罪深き一戦であったと思う。