こんばんは、

1981年、今は無き田園コロシアムにしゃがれた声が響いた。

その夜、テキサスの荒くれ者が大巨人を空に舞わせた。
そして声の主、ラッシャー木村は崩壊した国際プロレスから新天地へと舞い降りた。
緊張みなぎる会場での「金網の鬼」と呼ばれた荒くれ者の似合わぬ丁重な挨拶に会場が笑いに包まれた。
「初めてのところに行ってきちんと挨拶するのは当然なのになんで笑われなくちゃいけねぇんだよ」と、その男、ラッシャー木村は不器用ながら真摯に怒った。

プロレスラー・ラッシャー木村が亡くなった。

その訃報に、映画試写会でのコスプレ姿のアントニオ猪木は「はい、そうですね。冥福をお祈りします」と短いコメントを残した。
話題作りに利用するだけ利用して、先のマイクの後にはハンディキャップマッチでおびただしい流血と共々プロレス界の隅へと彼を追いやった男にとっては所詮その程度の存在でしかないのだろう。
コメントした状況は皮肉にもその扱いを現していた。

その後、剛竜馬国際プロレス残党たちと全日本プロレスに居を移した木村は不器用そのままに不遇の日々を過ごす。

そんな彼が再び表舞台へ出るのはマイクだった。
前座でのジャイアント馬場との試合後の見事な掛け合いが思わぬ人気を呼んだ。
ビートたけしにネタにまでされた田園コロシアムの不器用なマイクは器用に全国津々浦々の会場を沸かせた。もはやマイクは彼の武器だった。
前座がメイン並みに放送されるプロレス放送も当時の全日ぐらいだったろう。木村のマイクは番組内のプロレスニュースでわざわざ流されるほどだった。
各方面で人気者となり、果ては「いか天」の審査員席にレギュラー扱いで見事にトークをこなす音楽とはほど遠いはずの木村がそこに居た。

興業がメインのプロレス、馬場と木村のやり取りを楽しみの一つに老若男女が全国の試合会場に詰めかけた。
「おい、アニキ!」に始まるマイクは見に行くたびに約束ネタや時事ネタ、ご当地ネタを取り混ぜ、同じものは見た限り聞いた限り一つも無かった。

マイクだけと思われる木村だが、大相撲に始まった格闘技人生、親友のビクトル古賀に個人的に関節技を伝授され、マイクパフォーマンスが人気だった渦中にも関わらずサンボの練習に新宿のスポーツ会館に通い続けた。

NOAHに籍を移してからもマイクパフォーマンスは名物として続いた。

2004年、闘病中、NOAH東京ドーム大会にビデオで出場した。
「私は体調を悪くしてリングを離れて、カムバックの為にリハビリしていましたが、思うようにいかず、これ以上やると会社やファンの皆様に非常に迷惑がかかるので、引退を決意しました。本当に長い間、ご声援有り難うございました。ごきげんよう、さようなら」
本気の「こんばんは」で世間を賑わせた真摯な男はきちんと挨拶をしてリングを後にした。
引退後の木村の処遇を聞かれた三沢社長は、「永世名誉選手会長」にするとしてその労をねぎらった。

田園コロシアムで宙を舞った大巨人も、
「アニキ」と呼んだ東洋の巨人も、
各団体を共に転戦した「妹を進学させたい」とプロレスラーになったプロレスバカも、
ただ一人責任を取り廃業しようと決意するも慕う選手のために緑の箱船を船出させそのまま箱船に殉じた社長も、
もうすでにこの世には無い。

先日、Vシネで現場を共にしたプロレスラーの方と移動中に色々話をした。
インディ出場時代のディック・マードックと何度か闘ったことのあるその方が、近所にディック・マードックが出る巡業が来たので見に行ったところ、ちゃんと顔を覚えていたディック・マードックはわざわざやって来て一言言った。

「Merry X'mass」

その日は12月25日だった。

半年後、ディック・マードックはこの世を去った。


強くて、優しくて、礼儀正しい、あの男たちの居ないリングは、眩しいはずなのにとてつもなく寂しく見える。


本当に長い間、有り難うございました。ごきげんよう、さようなら。