最後の晩餐


 
1年前のこの日、mixiのあしあとを覗いて「2006年2月23日21:48 みーつー」を見た後、出勤。
朝にトラブルがあって一仕事終えて携帯を見たらよるのくんからメールが来ていた。
「みーつーが死んだ」
目の前が真っ暗になった。


何故なら、ボクはその半年前に突然の病気の悪化により、発作によるほぼブラックアウト状態に陥り、自殺を図ったからだ。
全ての準備を整え、永遠の安らぎに向い意識が薄れる中、周囲の人への謝意の中で打ったメールが、結局、命を救った。


こんなどうしようもない人間が命を拾った。


だが、そのちょうど半年後、あんなに愛された男が、太陽みたいな男が、突然、逝った。
でもほんの24時間にも満たない前、ヤツは生きていた。


人生なんて合理そうに見えてとても不条理なもんだ。
でも、人は意味をつけたがる生き物だ。
図らずして生き残ってしまったことにとても違和感を覚え、そして悩みながら病みながら、ただただ生き続けた。


それからだ。
昔の自分を取り戻して「なんでアイツが死んで俺が生きてるんだ、やらなきゃ!」と思ったのは。
「いつも心にみーつーを」
一周忌とイベントと上京を前にして、その成果を形にしたDVDを仏前に捧げた。ヤツがいたら…きっと…たぶん…喜んでくれたと信じてるし、信じたい。


結果として仕事を辞めることにはなったが、自分のやりたいことをやれるだけやってみようと思った。やりたいことをやった結果、何故か結果がついてきているのが不思議でしょうがない。


いなくなってもアイツはいやがる。
そして悪戯しやがる。
ヤツらしいのばっかりだ。それがまた嬉しい。
死んで残るのは思い出だけだ。コザック前田も言った。
「思い出を捨てるとき、それは死ぬときなんだろう」
ヤツは忘れたくとも忘れられない思い出を残して逝ったよ。
それはヤツがこのヤツとコンタクトした人間にとっては永遠に生き続けることなんだろう。そう、ヤツは死んでなんかいないんだよ!


いつもヤツが羨ましかった。夜に鈍く輝く太陽みたいなそんな姿が。


忘れない。
どんな宗教があるだろうが故人にとってはこれが最高だよ。


いつかはどっかでまた会うだろうさ。


今日、ついに一年部屋に貼り続けてきた号外版を外した。
ちょうどいい時期だ。
俺も生き長らえた命、さらなる一歩を踏み出そう。そして生き返っちまうぐらいヤツを楽しませてやってやる。


ホント、ありがとう。
これしか言葉がない。会ってなかったら、計らずもヤツが逝かなかったら、俺のこの人生は無い。


笑顔に涙
THANK YOU! DEAR MY FRIENDS
(笑顔に涙/松浦亜弥

今日の一周忌、連日のDVD焼きと引越し準備で疲れてつい眠りこけたけどなんとか間に合った。
またアイツはイイ顔で笑ってやがった。


香典返しは、飲兵衛多しの訪問者に合わせてかの家族の方のバツグンなセンスで「赤ワイン」1本!
クスリ飲んでるから止められてるけど、今日はいいでしょでしょ?

マタイ福音書26章26〜30節
また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」


ヤツの血だと思って1本飲み干すよ。罪深き過ぎる俺だけど。
そしてヤツは俺の血として生き続ける。そう、俺がヤツのところまで行くまで永遠に。
流し続けてやる、俺の血を。


みんなが笑えるように。そして、この不条理で不合理でどうしようもない世の中だけど『生きてる』という気を持てるように。