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「もの食う人々」の著者、辺見庸に「反逆する風景」

反逆する風景 (講談社文庫)

反逆する風景 (講談社文庫)

という著書がある。
時おりしも、地下鉄サリン事件が発生し、オウムバッシングが花開いていた時期。
オウム犯人説がもはや結審している現在においては、オウムを「人殺し」として見做すことは常識的なことになっているが、報道のみが先行し、捜査が入ったのみであった状況と、いかにオウムが異常な集団であるかが繰り返しのようにメディアで流れている中で、道行く「普通の人々」が「死刑にしてしまえばいいのよ!」と声高に叫ぶ光景に違和感を感じて仕方がなかった。
そしてそれは、その後にも続く酒鬼薔薇事件を始めとする常軌を逸した猟奇事件が起こるたびに繰り返された。
「反逆する風景」の中では、そういう「普通の人々」がメディアを通された「真実」と成されるものの中で「正義」を振りかざすことの違和感が徹底的に述べられ、違和感を感じていたのが自分だけでは無かったということに安心感を覚えた。
「正義」を振りかざす。
自分は「普通」である。
そんな人々の家族にも、もしかしたら法を犯している人間がいるかもしれない。またはそんな自分自身も「この程度なら」と本当は見過ごすことのできない常軌を犯した行為をしているかもしれない。所属している団体が説く「真実」は、もしかしたらとてつもない反社会的なものかもしれない。
そのとき「真実」「普通」「常識」と信じて見ている風景はいつ牙を向くかもしれないのだ。


先日、周防正行監督の「それでもボクはやってない」を観に行った。

ドキュメンタリーでもない、エンターテイメントでもない、様々な問題を提起する「ドラマ」として素晴らしい出来である映画だったと思う。脚本、キャスティングも非常に良かった。
職を探す普通の青年、いつもの生活、そこに降りかかる痴漢の冤罪。自身の潔白を信じる主人公は、皆が求め短時間で済む示談を選ぶことはなく、無罪を勝ち取ることを選択する。そこには家族、友人、協力者、弁護士という仲間たちもいるはずだった。
だが待っていたのは現在の司法という厳しい壁であった。
ドラマとしての流れの中で、説明ではなく、画面と登場人物の言葉で今の司法が抱える問題が次々と提起され、その悉くに主人公は裏切られていく。
「痴漢」という(女性には悪いかもしれないが)普通の生活では見過ごされていく微罪の中にこの提起されていく問題点が集約されているのは、とても滑稽なまでに恐ろしいことだ。この「痴漢の冤罪」というテーマを選んだ製作者のその観点は素晴らしいと思う。
そこで描かれる逮捕、拘置所生活から裁判風景。
それは恐ろしく滑稽であるが、現実だ。いや、現実のほうが滑稽かもしれない。
一応、法学を学んだ経験や傍聴経験もある自分にとっては、これが他の人にはどう映るのかも気になった。現実なんだ。しかもソフィスティケイトされた。
また、公務員経験者の点から見ても行政なんてのもこれと大して変わりは無いことも蛇足ながら付記しておこう。


昨年末、名張での「毒葡萄酒事件」の再審取り消しがあった。
それに向けてなのか、毒葡萄酒事件を始めとする冤罪の起こる構図を追ったドキュメンタリーが放送されていた。
逮捕された者全員が冤罪無罪なわけではない。それはわかっている。
しかし、一度目をつけられ、逮捕された者は有罪とされるために様々な手段で追い込まれていく。推定無罪など言い訳に過ぎない。
それは司法が、裁判が、決して真実を明らかにする場ではない、という現実を如実に現していた。
司法、それも国家システムの一部である。
国家という社会が回るため、国家という権威が犯されないための、それはガス抜き装置の意味しかないのではないか。
そんな疑問が、昨年末来、アタマを回っていた。


この映画はそんな疑問、そして問題をもしっかりと描いてくれていた。


終わった人は思うだろう。
「ヒドい話だね」「かわいそう」「裁判ってそんなものなんだ」「電車に乗るときは気をつけよう」等々。
小人たるボクだが、でも、そこで言いたい。
それだけじゃ駄目なんだ。
想像してみるんだ。
今、信じているもの、真実と思っているもの、正義と思っているもの。
そんな「普通の風景」がいつ牙を向くのか。
全てを疑えとは言わない。信じれるものを信じる、それは素晴らしいことだ。
ただ、ちょっと考えてみるだけでいい。
「思考停止」それがこの近代社会に生きる人間とって一番恐ろしいことだと思う。ただ生きることにとっては一番楽かもしれない。そして一部以外の人間がそうなることを願い、それを巧みに(中には間抜けもいるが)仕組む人間はたくさんいる。
でもそれは人間の人間たる素晴らしさを捨てることだと思う。この文化文明生活だってそんな人間の試行錯誤の結果でなりたっているんだ。
もう一度。想像してみよう。


imagine all the people


ジョン・レノンが歌ったのはユートピアの姿ではない。
ユートピアを実現するための必要性について歌ったんだ。だからこの歌は素晴らしいんだ。
ボクはそう思っている。


最後に。
嫌な気分になるかもしれない。彼女とホテルにしけこもうなんて気にならないかもしれない。
でもこの映画はできるならみんなに見てもらいたい。
そして、その先をちょっと想像してもらいたい。この映画はそのきっかけを与えてくれる映画だ。


正義や真実なんて滑稽なもんだ。



「裁判で一番大切なこと、それは無罪の人を裁かないことです」(劇中の言葉)