ファッショという料理には死は最も甘美な美酒である

xxx1shot2kill2004-07-03

このたび研修という名目で様々な場所を回ってきた。
その中の一つに某駐屯地の予科練記念館に行く機会があった。
これまで江田島にも行ったし、靖国にも行った。
行くたびに俺は違和感に襲われてしょうがない。感傷なんか真っ平だ。
英霊の覚悟、そしてその尊い犠牲を忘れず記憶を留めるのは確かに必要だ。
でなければ彼らの死は犬死になってしまう。
しかし神聖化してしまうことはどうしても納得できない。
国家の犯した失態を彼らを神聖化して消せるとでも思っているのだろうか?
今の日本の現状を見て、国に、家族に死を捧げた彼らに神聖なものを感じることは判る。
だが、次から次へと彼らを死へと導いたのは本当に愛国心だったのだろうか?
今、俺自身が軍事に従事するものだから言える。
同朋が死んだら、しかもあんな状況で、そんなことになったら俺は死ねないとは絶対に言えない。
国家全体が一つの洗脳状況、カルトだったのだ。
そんな時、誰か一人の血でも流れたら国家を保つためのエスカレートは始まる。
その死を贖うため、国家はさらなる死を求める。
それは相手に対しても自分に対しても。
先日の韓国人男性の殺害事件。韓国は600人の増派を決めた。
歴史で繰り返された過ちはまだ繰り返されている。
国家が個人を生かすシステムではなく、国家を存在させるために個人が存在するシステムである限り、これは繰り返されるであろう。
その場繕いの我が元首が日本の多国籍軍参加を決めた。
いつか日本人の血が流れるだろう。いや、もう流れている。
奥さん、井上さん、彼らはこんな状況を望んでいたのか。
さらに流れるその血を洗い流すため、いったいどれだけの血が必要となるのだろうか。