ベースドローム

昨夜は今沢“BASS NINJA"カゲロウ氏のライブを観にgrooveへ。

某Y嬢から@st. of crocodilesさんがオススメのライブがあると聞いて、HPを覗いてみたら、その凄さに失禁しそうになり、気づいたらガチャピンさんに連絡取ってました。
http://www.bassninja.com/


他にもライブありましたけど、せっかくの訪沖で、これを逃すわけにはいかなかったんです。ごめんなさい。


で、実際にライブを観ることになったんですが、これがもう!
凄まじいまでの衝撃!!!でしたよ!
6弦フラットレスベースソロのみで繰り広げられる信じられない奇跡的なパフォーマンス!!!
音もテクも当然凄いのですが、ループマシンでリズムラインを作り、シーケンサーシタール・ピアノ・尺八・鼓の音を作り、終いにはエフェクトをかけた自分の声までベースで乗せ、四肢を鮮やかに操り変幻自在に旋律を作り上げていくのです!しかもリアルタイムで!!
当にニンジャ!としか言いようがありません!
音源だけを聴いたら、これがベース一本で作られているとは誰も思わないでしょう。


そして構成の妙!「蛙の歌」で脱力させたかと思えば、前述のパフォーマンスで度肝を抜くのです!
途中に入るMCも流れるようで、会場の爆笑を誘う見事な話術!
「中学時代ベースを下げて学校に通った」「授業中、リズムラインを頭の中で妄想しながら手を動かしトランス状態に入っていたら手淫と間違えられた」「友達がいなくなったので、目立たないようにメトロノームをポケットに入れて拍を刻んで歩数を合わせて登校していた」「版画の時間は黒人ベーシストばかり彫るので奇人扱いされた」等々、「12歳でベースを始めて、いかにしてベースと体が一緒になればいいかばかり考えていた」と、クローネンバーグ的エピソード満載!

後半には、「スクール・オブ・ロック」と称してメタル、ハードロック、プログレなどを5秒ずつ、しかも破壊的にアレンジして17曲弾き倒す、という下手をすればタモリ倶楽部ロック・フジヤマでネタにされてしまいそうなパフォーマンスを!
さらには間に「蟻とゴキブリとイチローの身体比較について」という「昆虫漫談」を挟む、という全くもって飽きさせない構成。しかもこの「昆虫漫談」、他に37個あるそうです(笑)


ラストナンバーはHPで試聴して行くことを即決した「Ninja Coming」を演奏してくれて感激!


あまりに素晴らしすぎて思わず目が潤んでました。
この人を知ることができて、しかも生でかぶりつきで観ることができて本当に幸せです!


早速物販してたCDを購入(しかも手持ちが無かったのでガチャピンさんに借りて)すると、サインとともに「その人からイメージする昆虫」のイラストを描いてくれるというステキなサービス!
ちなみにボクは「ダイコクコガネ」(=スカラベ=フンコロガシ)でした!イカスゥゥゥ!


終わったあとは機材をガン見していたベース小僧(含む娘。)総勢6人ほどに囲まれて談笑されておりました。



興奮冷めやらず、ガチャピンさんとY嬢と話をしておりますと、Y嬢が「トレーニングはなさってるんですか」と今沢さんに質問し、今沢さんが低炭水化物トレーニングについて話されはじめ、ボクもそれについて合いの手を入れているうちに、いつの間に話がヒートアップ。トレーニング論から身体理論、脳の話、人間の限界と可能性、技巧派と呼ばれる音楽者の使命、ベースという楽器の未熟さと可能性、文明の発達と人間の退化、社会システム維持のための消費社会の形成、生殖における男女の話、教育論、人種論、性欲と殺人衝動の話、地方のテレビ局の話、そしてお約束の昆虫の話等々とノンストップで湧き出てくる多岐に渡る思考の成果を延々と語り合っていたのでした。
いや〜、何事についても突き詰めて考えていて、しかも恐ろしく広い分野に渡る知識に舌を巻くばかり。
今沢さんはMC中から「もったいない」を語っておりましたが、全てが「いかに無駄を省いて極限までベースを突き詰めるか」ということに思考が向かっており、生活全てがそれに対するトライ&エラーで成り立っているのです。体も、「いかに死ぬまでベースを上手くなり続けるか」のために試行錯誤し実践して作り続けているとのこと。
しかも「ベースを弾くマシーン」になるのではなく「思い通りにベースと一つ」になろうとしている。それがあの素晴らしい音にも現れているのです。
これは「達人」の思考と行動であり「ミュージシャン」「アスリート」を超えています。「求道者」そして「武人」という言葉を頭をよぎりました。もしかしたらボクは「達人」が成立する過程を見てしまったのかもしれません。
今沢さんはこの至極真っ当な精神から生み出された技巧をそのまま真っ当なものと信じている。これはとてつもなく素敵なことです。世間では「色物」「変態」(ボクもつい言ってしまいました)「見世物」と捉えられてしまいがちですが、それは見る方が真っ当な精神ではなく言葉や思考や視野が足りないからなのかもしれません。


これからもベースを極め続け、感動に溢れた素晴らしい空間を見せてくれることを願って止みません。そしてゆくゆくは本当にベースが体と本当に一つになることを祈って。


この素晴らしい出会いに感謝。



ボクもビデオデッキを抱いて寝ることにします。