怖い、怖いですね。

 スカトロ、SM、ネクロフィリア、ペド等々………。
 たいがいの悪趣味や異常性愛というモノに対して結構耐性を持っているボクは、やはり職場等で人と話しているときに、その許容範囲の相違に白い目で見られることがありがちである。まあ、自分で話をセーブできればいいんだが、そういうものが人一倍苦手な自分としては、人間関係から1寸2寸ズレてまでも自分が自分であることを選んでしまう。
 インテリ風吹かせてムカつくヤツには『糞尿家族ロビンソン』を見ていかに感動したか、そしてその人間の実存性とはかなさと悲しさと愛おしさ、そしてそれを笑いに包んで描かれたその作品の素晴らしさを話してやればいい。場は微妙な空気が流れるだろう、そして我は保たれる、犠牲は大きいかもしれないけど。
 もし話に食いついてくるならそんな人とは友達になればいい。いいことだ。
 でもそんなボクにもどうしてもついていけない悪趣味がある。
 『老い』だ。
 シルバーライフを悪趣味として観察する嗜好が世の中にはあるようだが、ボクはおぞましすぎて10秒と見てはいられない。
 それは『老い』が誰にも訪れるものであるし、そして僕自身、『老い』ることがたまらなく怖いのだろう。
 死は美化される、笑われる、悲しまれる。
 だが『死』まで残された期間を『生』の可能性を消費しつつ『老い』ていくことは、今のボクにとってはたまらないほどの拷問である。人生に与えられた最大の放置プレイなのかもしれない。だが、苦痛の中に『生』を感じ取るマゾヒズムに『老い』を喜びであるとは今のボクには思えないのだ。
 まだ『生』を実感しつくしていないボク自身のワガママかもしれない。
 明日、そして今、にじり寄って来る『老い』に精一杯反抗し、ボクは生きてる。