マブ論。

プロレスにおけるトップレスラーの条件とはなんだろう?
プロレスが上手い?テクニシャン?キャラが立ってる?
それはどれも間違いではない。
でもボクの考えは違う。考えてもみよう、プロレスが上手くてテクニシャンでキャラが立ってるとしても、面白み、そして人間としての厚みが無ければそのレスラーに対して『はにゃ〜ん』となることは無いのだ。少なくともボクは。
果たしてそれはどこに現れるのだろうか?
ボクはそれがレスリングの懐の深さ、つまりはインサイドワークに現れると思う。
試合の流れを瞬時にして変える一瞬の技、例えそれが反則だったとしても。そして相手を引き込み、受けて、光らせ、かつ自分も光る。
そこにそのレスラーの歩んできた人生のコク、凄み、技量が現れるのではないだろうか。そしてそのチラリと(けして大開脚で見せるわけでは無い、これポイント)見せられるその瞬間に脳味噌の腐った部分は疼き始めるのである。
正統派のテクニックを見せるだけのレスラーなどただの添え物にしか過ぎないし、団体においてもトップレスラーになることなどは無い。なったとしても不人気王者の汚名を着るだけだ(それがキャラ、というのは例外)。
なぜならプロレスラーとはアスリートではない、人間の様々な欲望や生き様、つまりは人生をリングにおいて体を酷使し『表現』するものだからだ。

『アイドル』そして『萌え』というものにもこれは言えないだろうか。
カワイイだけじゃダメ、歌が上手いだけじゃダメなのだ。そこに脳味噌の腐った部分を疼かせる『何か』がなければそのジャンルは存在しない。
その対象が存在する合間に、人間としてのコク、凄みが覗いたとき、そこから始まるファンタジーに人間は体をよじらせる『何か』を感じる。『何か』を感じ、脳味噌の中でそれを処理するときに紡ぎ出される妄想に、人は体をよじらせる。
そしてキミは叫ぶだろう。
『萌え〜!』
と。