お話と作品性

アカデミー賞11部門受賞!ロード・オブ・ザ・リング
いや〜、やっと見ましたよ、「旅の仲間」。
いつのハナシだって?いや、だからやっと見たんですよ!(サーベルを噛みつつ)
ずっと見る気が起きなかったのは、まず映画館でも無いのに3時間も映画を見る気力が無かったこと。
そして、TV朝日の深夜番組『虎の門』内の人気コーナー、井筒監督の『こちトラ自腹じゃ!』をたまたま見てしまったことである。

いつもの通り、自腹で映画館に行く監督、最初から不機嫌そう。
見ている間も仏頂面を崩さぬまま、映画終了。アシスタントのお姉ちゃんの楽しそうな表情とは別に不満そうな様子。
何が気に食わなかったのかといえば、「内容が非常にありきたりで陳腐」ということ(だったと思う)。
「こんな友情がどーこーとかなんとか何処でも語っとるわい!3時間も時間かけてじゃかあしいわ!」てなこと言ってた(と思う)。

それをたまたま見てたボクは、「あ〜、3時間かけてディズニー映画みたいなのを見せつけられるのはやだなぁ」と思い、劇場に観に行くのをためらった。その後もビデオを借りる機会がありつつも、そのパッケージをレジに持っていくことは無かったのである。
監督が敬愛するピーター・ジャクソンであったにも関わらず。

それから2年、初めて観るに至ったワケで、烈しくそのときの愚行を後悔するのである。
「ピーター!悪かった!せめてベッドで添い寝させてくれ!そしてそのメガネの脂をキレイに拭き取って、毎日汗だらけのそのシャツも洗濯してあげる!」と。
指輪物語は、その名の通り、物語であり、叙事詩である。
早い話が「お話」だ。
そこに描かれるテーマは、友情、勇気、愛、自己犠牲等々、非常に啓蒙的であり、人間にとって普遍的なものだ。
そう、「普遍」、どこにでもあるからといって「陳腐」などではない。人間の心を打ち震わす、「普遍」的なモノなのである。
ピーター・ジャクソンはそれが判っていた(と思う)。
すでに確立されている「お話」をいかに再現するか。原作の大ファンであるジャクソンにとって、切り口を変えたりするなどということできようはずもない。「陳腐」といわれようが、そこに描かれた「普遍」たるテーマを充分に盛り込んでいった。
そして彼はそれを実現した。不可能といわれたその世界観、種族やキャラの魅力を見事映像化、いや、作品化したのである(物語を映像化することは時間や金でどうにかなるかもしれない。だが金が取れる「作品」にまで昇華するにはそれだけではすまされない)。
そして、世界の人たちに「中つ国」への新しい入り口を与えるに至った。ファン冥利に尽きるだろう。

リアリティだけを追求するならドキュメントを撮ればいい。
別にドキュメントがつまらないと言っているわけではない。現にマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」は素晴らしいドキュメントでありエンターテイメントであり「作品」である。
作品を見ようとしないで、テーマの「普遍性」を「陳腐」などと言い換えてしまう行為はフェアじゃないと思うのだ。
長々と書いてきたけど、そういうことなのだ。
「お話」なんだから。
目くじら立てるなよ。

最後に正直な「旅の仲間」の感想を。
好奇心つーか叔父の我侭のために死ぬ思いばかりのフロド、というかイライジャ・ウッドの眉間の皺を見てると身につまされてこっちの胃が痛くなります。周りのヤツ酷すぎる!助けてやれよ!お前も!お前もだ!

特大風船膨らましゲームを見てるかのような既視感。